第5回 ニューサンハイツ・静岡グリーンハイツ周辺の交通事情

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株式会社オールウィンが所有する2棟、ニューサンハイツと静岡グリーンハイツは、“駿河区”に立地しております。

今回は、“駿河区および中田地区”の交通事情・歴史についてお話させて頂きます。

現在の静岡市は人口約70万人で政令指定都市ですが、その前は、静岡市と清水市に分かれておりました。両市の合併により政令指定都市になる際に、旧清水市が“清水区”、旧静岡市が“葵区と駿河区”になりました。

“葵区と駿河区”の境界は、安倍川以東は概ね国道1号線(旧東海道)の北と南になります。

私の実家は駿河区の中田地区で、昭和40年代までは“見渡す限りの田んぼ”という場所で、いわゆる“官庁街、盛り場は殆ど葵区”にありました。

その当時は、“駅南”という言葉がありまして、これは主に現在の葵区の方が駿河区方面を差して表現する言葉で、静岡市の中でも田舎!という意味合いを持っておりました。

その“駅南”は、昭和50年代から開発がどんどん進み、今では計画的に拡張された道路が“東西南北”、碁盤の目のように走っています。

私が思うに、開発のきっかけは“東名高速道路”ではないかと。

昭和40年代は、駅前(南口)から真っすぐ海に向かって“石田街道🅐”がありました。

そして、今では“南幹線🅑”と呼ばれる道路が東西に石田街道と交わっていました。この2本の通りが駿河区の中心部とも言えます。

その後、東名高速道路静岡インターが出来たことにより、“東名取付道路🅒”が南北に、また、その“東名取付道路”から、東名高速道路に平行に走るように“SBS通り🅓”が開発されました。

時は平成に移り変わり、一車線しかなかった石田街道の拡張工事が着手され、これに伴い、石田街道に西側に、葵区では“昭和通り”と呼ばれる片側2車線の大通り🅔が駿河区側に延長され、SBS通りまで一直線に南に下っています。

更に、“南幹線”の南側に、安倍川の“静岡大橋”につながる片側2車線の大通り🅕が開通し、ほぼ、今の駿河区の姿になりました。

中田地区は、最初からあった石田街道と南幹線、昭和40年代に開発された東名取付道路と、SBS通りに囲まれた、非常に便利な立地にあると言えます。更に数年前に“静岡大橋に直結する東西の大通り🅕”が開通し、さらに便利になりました。

“これで道路の開発は一旦落ち着くのか?”と思っていたところ、静岡インターに東側に“日本平久能山スマートインター”が建設され、それに伴う周辺の道路も開発され、大型店・巨大倉庫等、物流上重要な役割を果たすことになりました。

静岡は、国道1号線(バイパス)、東名高速道路、東海道線、東海道新幹線が通り、県外に出るには東西どちら側にも、道路・鉄道が整備されていますが、昨今葵区側には“新東名高速道路”も建設され、更に、静岡県内はすべて3車線で、制限速度も120kmと、ますます“日本の大動脈”の役割を果たしております。