第43回 夏休み!縄文時代・弥生時代=登呂遺跡、卑弥呼の時代の高尾山遺跡!

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毎日、暑い日が続きますね! 日本全国で猛暑日が始まった当初、静岡市も“”40度に迫る街“として話題になりましたが、いつからそんなに暑い街になったんでしょうかね? 静岡と言えば、冬でも暖かい土地!というイメージだったのに・・・・

夏休み、皆さんはどうお過ごしですか?私は8月の後半、北海道を目指します!

 

北海道は以前、クルマとカブで“2周半”したことがありますが、今回は観光とは別の目的にしております。

今回の北海道の目的は、ずばり、“縄文”です。

私が子供だった頃・・・50年以上前の話です・・・は、静岡市の“登呂遺跡”は弥生時代の遺跡として、教科書にも載っていました。

その後、日本の古代史の研究が進み、弥生時代より前の“縄文時代”が世界的に見ても非常に重要な文化であることが見直され、“北海道・北東北の縄文遺跡群”として、2021年に世界文化遺産に登録されました。

縄文時代と弥生時代の違いは何に基づくものでしょうか?縄文時代は古く、その次に続いたのが弥生時代、という単純なものではありません。大きな違いは、稲作を取り入れた時代か、それ以前の時代と言えます。

縄文時代は、いわゆる”新石器時代“に分類され、基本、”狩猟・採集“によって食料が確保されていました。登呂遺跡には、竪穴式住居とその周りには田んぼの遺跡が残されていますね?正に登呂遺跡は稲作文化であることが分かります。

世界史レベルでは、農業は1.2万年位から始まり、7000年前位までに各地に定着した!と言われています。

日本では、縄文時代の終わり=弥生時代の始まりは、2400年前と言われており、世界的に見て、農業の定着が遅かった!と言えます。しかし、だからと言って、それが”文化的に劣っていた!“ということではありません。

日本人のルーツの1つと言われる東南アジアも、新石器時代の次に農業を取り入れ、今に至っています。ですので、縄文時代が始まった1万年以上前の段階でも、稲作が日本列島に入ってくる可能性は十分あったはずです。

縄文時代はそれをあえてせず、1万年以上に渡って”狩猟・採集“、更に”定住“という生活を続けてきたことで、世界的に見て”類い稀な、普遍的な価値がある文化“として評価されました。

世界遺産としては、北海道の5つの遺跡と青森県・岩手県・秋田県の12の遺跡で構成されています。

今回は、この17個の世界遺産の遺跡を訪問します。

因みに弥生時代は、日本史では古墳時代に繋がります。それは邪馬台国の卑弥呼が活躍した時代ですが、その時代の重要な遺跡が静岡県にあります。

それは沼津市の“高尾山古墳”といいまして、たまたま都市計画道路の建設予定地に存在したのですが、古墳時代創成期=卑弥呼の時代の重要な古墳として、国の史跡に登録される予定です。

今回のコラムは不動産賃貸とは全く関係ないお話となりましたが、縄文遺跡を見学してきた後、改めて弥生の登呂遺跡にも足を運びたい!と思います。