謹賀新年
昨年は“秋が無かった”と言われたほど、夏の暑さからそのまま冬になった気分でしたが、四季のある日本は、年の瀬には“真冬”となり、新年を迎えることが出来ました。
1年前の年初は、能登半島地震とそれに関連する飛行機事故で始まり、多くの方々が苦難の1年を過ごすこととなりました。改めまして、お亡くなりになった方々、被災された方々とそのご家族にお見舞い申し上げます。
実は私、昨年4月中旬に能登半島に参りました。ちょうど“のと里山海道”の下り線だけ開通し、一般の人もクルマで輪島からその先まで入れる状況まで復旧しておりました。
“そんな時期に物見遊山に行っていいハズないだろう!”
仰せ御尤もです。しかし、私はどうしても自分の目で確かめたいことがあったのです。
それは、倒壊した家屋の状況。
私の仕事は“安全かつ快適な住環境を実現する賃貸住宅を提供すること”。
東日本大震災の時も、建物の倒壊は発生しましたが、それは地震そのものよりも“津波による被害”が大きく、それだけに、今回の能登半島地震で一般の家屋の被害が大きいように見えました。
TVでは、被災された家屋は、“木造の古い建物”が多いように見受けましたが・・・・・
実際にクルマで向かうと、道路は隆起により寸断された跡が数多く残っておりました。地震の後、マンホールが浮いている映像を見たことがあると思いますが、あれは地盤沈下によるもの。能登の道路も同じで、マンホールや“橋”・・・大きな橋ではなく、山の水を田畑に引く水路の橋も、ほぼすべて“隆起”してしまい、そのままでは当然クルマは通れません。それを一つ一つ復旧し、やっと一車線だけでもクルマを通した、4月はそんな状況でした。
倒壊した家屋の状況は・・・後日報道でも知ることになりますが、殆どは旧耐震、それも重量のある瓦屋根・・・正直、地震に対してはほとんど無防備であったと言わざるを得ない状況でした。
逆に公共の施設は、“耐震補強”がしてあり、ほとんど無傷でした。
いかに“耐震補強”が重要だったかを如実に示す地震であった、実際にその被害を目の当たりにして思った次第です。
従前の耐震補強は、瓦屋根を軽量素材に交換し、壁は出来るだけ落として“耐力壁を設置”というもので、数百万円単位の費用が掛かりました。
そのような状況下でも、耐震補強工事をしていた一部の一般家屋は倒壊を免れておりました。その工事内容は、従前のように大がかりなものではなく、壁も落とすことなく“木枠に耐力壁を金具で固定”というもので、一戸当たり100-200万円で実施出来る技術が、今はあるそうです。更に市町村の補助金を使えば、100万円以下で出来ることもあるそうです。
100-200万円、大変な金額ではありますが、自分と家族の命とは比較するべくもなく、また倒壊により家財および思い出を失うことを考えれば、決して払えない金額ではないと思います。
私は過去のコラムで、“家具を固定しよう・地震保険に入ろう”と呼びかけました。災害は一旦発災してしまったら、人の手では何も出来ません。だからこそ、家族で“減災”について話し合い、事前の対策は出来る限りするしかありません。
それは、持ち家でも賃貸でも、戸建てでも集合住宅でも同じです。
因みに、我が家がご提供する賃貸物件は、すべて“新耐震基準”となっております!